2013年10月21日

シキーニャが生まれたから10月17日はMPB記念日

ボサノヴァを含むブラジリアン・ポピュラー音楽全般を"MPB"(エミ・ペー・ベー, Música Popular Brasileira)と呼びます。狭義ではボサノヴァ以降の時代でボサノヴァ的なシンガーソングライタースタイルの音楽を差す場合もありますが、原語の字面通りな意味でポピュラーミュージック全般を広く意味することも多い用語です。

さて数日前の話ですが、10月17日はブラジルの法律で定められた記念日のひとつ『MPBの日』でした。知ってましたか?

私はついこないだまで全然知りませんでした。…ふふん青二才め。そんなもんはブラジル音楽マニアの基本中の基本じゃろうが、何十年も前から知っとるわ若造がっ!!!…と思ったアナタはたぶん、記憶に問題があるかホラ吹きの気があります。

じつはこの日、ほんの去年できたばっかりの記念日だそうです。

"Você sabe por que hoje é o Dia Nacional da MPB?"
"どうして今日がMPB記念日なのか、わかるかな?"

ブラジルの新聞フォーリャ・デ・サンパウロの公式サイトの子供向け記事ページ Folhinha の参考記事(2013/10/17付け)のリンク

昨年から、10月17日はブラジル・ポピュラー・ミュージックの記念日になりました。

この日は、ブラジルにおける最初の女性作曲家であるシキーニャ・ゴンザーガ(Chiquinha Gonzaga)の生誕を記念して、ジルマ大統領によって制定されたのです。

シキンニャは1847年にリオ・デ・ジャネイロで生まれました。ブラジルのカーニバルにおける代表曲のひとつになった『オー・アブリ・アラス』(Ó Abre Alas)は、彼女がつくった曲なんですよ。

政治や音楽だとかいった世界に女性がいる場所がないような時代にシキンニャは生きましたが、彼女は作曲家で指揮者であっただけでなく、時代の大きな社会的変化にもかかわっていたんですよ。

彼女が遺したたくさんの曲は、タンゴ・ブラジレイロやショーロやマルシャ(マーチ)といった様々なリズムを混ぜ合わせて、教養的なものと大衆的な音楽の橋渡しをしたのです。


シキーニャ・ゴンザーガ(Chiquinha Gonzaga)、本名はフランシスカ・エヂヴィジェス・ネヴェス・ゴンザーガ(Francisca Edwiges Neves Gonzaga)だそうですが、なんと1847年お生まれの方です。1947年ちゃいますよ。前々世紀のお方なんです。

こちらのページに日本語による詳しいバイオグラフィーと解説が載ってますので読んでいただくとわかりますが、ブルジョワ階級のお嬢さんとして生れつきながらも(というか、だからこそかもしれませんが)情熱と波乱に満ちた人生を送られた方のようです。

上のフォリンニャの記事にもあるように彼女はおそらくブラジルでもっとも早くにルンドゥ(Lundu)のようなアフリカ奴隷ルーツの音楽とヨーロッパ由来のクラシック音楽やワルツやポルカといった音楽をフュージョンさせて、マシーシ(Maxixe)やショーロ(Choro)といった後々にサンバやボサノヴァへとつながっていくブラジル独自のサロン・ミュージックの系統樹を発生させた先駆者であったと考えられます。

ブラジルポピュラー音楽における多くの優れた成果の源泉が、こういったアフリカとヨーロッパ音楽文化の融合によるものであることに異論のある人はまず居ないと思いますが、シキーニャがそれを成し得た理由のひとつはもしかすると出生の経緯にその秘密の一部があるのかもしれません。

というのは、彼女はブラジル帝国陸軍の将軍という非常に立派な血筋の父の娘でありますが、母親のホーザ・マリア・ネヴェス・デ・リマ(Rosa Maria Neves de Lima)さんは、貧しい家の出身でメスチッサだったとされています。

※メスチサ/メスチソ…白人とインディオ、あるいはアフリカ人など肌の色の混血した人の意味。この場合女性なので mestiça 男性だったら mestiço

歴史的に他の南米諸国に比べると混血にかなり寛容なブラジルですが、なにしろ19世紀半ばの上流階級の話ですからこの身分差婚には相当の風当りがあったらしく、フランシスカことシキンニャちゃんは両親が未婚のままの誕生となり、最終的に家族らの反対を押し切って正式な結婚が成立するまで生まれてから数ヶ月を必要としたようです。

これは私が勝手な想像と思いつきで推測してるだけですが、おそらく彼女の音楽性や生き様にはこの出生と母親の影響が少からずあったんじゃないかと思うんですね。9才にしてピアノを与えられ、当時の音楽界の鬼才といわれたマエストロ・ロボ(Maestro Lobo)の元で音楽を学ぶというような典型的な貴族的教育を受けて育ったシキーニャは11歳にしてクリスマスの演劇のために"Canção dos Pastores"という曲を初めて作曲します(作詞は彼女の弟)が、そんなころからシキーニャは庶民向けのルンドゥやウンビガーダ(umbigada)の集りにしょっちゅう顔を出していてアフリカ系リズムの音楽性に興味をひかれていたようです。

生涯を通して2000曲ぐらい作曲があるそうですが、そのごく一部は例えば Wikipedia のポルトガル語版のページや、現在遺品を管理していると思われる IMS (Instituto Moreira Salles、以前ご紹介したバーデン・パウエルやピシンギーニャの遺品も管理する研究財団)のシキンニャのアーカイブサイトなどで聴くことができます。

※IMSの Chiquinha Gonzaga アーカイブのリンクはここですが、開くといきなり音楽が鳴るので注意。
  いろんな曲を聴くには[Gravações diversas]/[Gravações recomendadas]/[Canções cançonetas]
  のどれか選んでから [Clique e ouça] をクリック


なお、録音は本人の演奏ではなかったり、音がえらく古くてもアレンジや楽器構成が実際の作曲時期のものより何十年も後のものがあったりする事に留意しながら聴く必要があります。

- アブリ・アラス -

これら大量に残された作品の中でも特に知名度が高いとされているのが、Folhinha の記事にもある "Ó Abre Alas"(オー・アブリ・アラス)で、これは今日に至るまで "marchinha de carnaval "(カーニバル・マーチ)の代表曲のひとつとして長く親しまれているものです。

マルシャ、あるいはマルシンニャは英語で言うマーチのことですが、いわゆるリオのカーニバルの映像なんかで見るようなメイン会場でコンテスト形式で観客に囲まれてパレードするサンバのテーマ曲はサンバ・ジ・エンヘードと言いますが、それとは別に普通に市民が街を練り歩いたりするときに演奏したり歌ったりする曲がマルシンニャ(marchinha)と呼ばれています。ものすごぉーく大雑把なイメージで言うと、エンヘードが学校対抗のNHK合唱コンクールのテーマ曲で、マルシンニャは学祭の吹奏楽部の演奏曲みたいな存在です。

"Ó Abre Alas" が有名な理由は曲の完成度や親しまれ度合いといった事ももちろんですが、これがカーニバルのマルシャの歴史上最初の曲とされているから、という事があります。

ブラジルのカーニバルは旧宗主国であるポルトガルからの移民がヨーロッパの習慣をもちこんだエントルードというお祭りが始まりですが、ブラジルの庶民の間ではドブの水をプッカケ合ったりバカ騒ぎしながら楽器を適当にバコバコ鳴らすようなお祭りになっていったらしいです。もちろん組織だったエスコーラもエンヘードもなく、特にカーニバル用にあつらえた曲もなかったので適当にありものの曲を鳴らしていたのですが、時代が下りシキーニャが活動していた19世紀末のブラジルではコルダォン(cordão, 現代のブロコとかエスコーラの原型)というグループでまとまって互いに対抗するような、現代のカーニバルの原型みたいなフォーマットができあがりつつあったということです。

そんな時代背景の中、シキーニャが住んでいた家の近所のアフリカ系黒人のコルダォンであった cordão Rosa de Ouro(ローザ・ジ・オウロ団、金の薔薇の意)がやっていたユニークなリズムと踊りに興味をひかれ、彼らのために作曲したのがこの曲『オー・アブリ・アラス』といわれています。

また、シキーニャの甥でジャーナリストのジェイサ・ボスコリ(Geysa Boscoli)の著作などによると、団長から直々に"ウチらのために一曲書いてほしい"と頼まれて作った、とも言われています(ちなみに Geysa Boscoli はロナルド・ボスコリ、いわゆるエリス・レジーナの元夫であるまさにそのヒトのおじさんにあたる人)。

いずれにせよ、この曲はコルダォン・ローザ・ジ・オウロのテーマ曲となり、ヒットを飛ばし何年もカーニバルのマーチとして使われて"最初のマルシンニャ"として歴史に名を刻むことになります。実際にはこの曲以前にもカーニバル用にあつらえたマーチ曲が作られた事もあったと思われますが、特定のコルダォン向けにカーニバルのマルシャ用の意図をもって作曲し、かつヒットした最初の曲としてその栄冠をつかんだわけですね。ここらへん、ボサノヴァにおける"Chega de Saudade"の立ち位置なども似たようなストーリーがありますし、おそらく他のジャンルの音楽にしてもそんな感じの話があると思います。

曲の演奏例はこんな感じです。



この録音は、この曲が総体として初めてきちんと録音された最初のもので 1971年の RCA/Abril Cultural レーベルで Linda e Dircinha Batista 姉妹が "História da música popular brasileira"『ブラジルポピュラー音楽の歴史』というアルバムに収録したものだそうです…っていうか、この情報、動画に1つだけついているようわからんどっかのオッチャンのコメントそのままパクりましたが、このオッチャン他にも古いレアもの録音の動画にやたらと詳細でマニアックな情報をコメントしてはるんですが一体何モンなんでしょうか…内容は非常に確からしいと思ったのでそのまま引用しました。

Youtube には他にもいくつか面白い演奏例がありますが、"Ó abre alas" で Youtube を検索するとトップに出てくる動画(これ)は、"Chiquinha Gonzaga - Ô abre alas ( marchinha de carnaval - 1939 )"などともっともらしいタイトルと画像がついているにもかかわらず、実は違うので注意です。

この検索で最初にでてくる動画の歌をオリジナル歌詞と照らし合わすとすぐ気がつきますが、微妙に似てるんですが歌詞も曲も違っています。動画のアップロード主も完全にウソをついているわけではなく、ちゃんと説明文では " J. Piedade と Jorge Faraj がシキーニャ・ゴンザーガのテーマを使って作曲"と書いてます。じつはこの曲は、シキーニャのオー・アブリ・アラスにインスパイアされてオリジナルの40年も後の1939年に作られた"Abre Alas"という曲です。

ちなみにシキーニャ版のオリジナル歌詞はこんな風です。

Ó abre alas
Que eu quero passar
おお!そこを開けろ、通しておくれ
x2

Eu sou da lira
Não posso negar
私は竪琴なんだよ、進まないわけにはいかない

x2

Rosa de Ouro
É que vai ganhar
勝つのは、ローザ・デ・オウロだ


はい、終わりです。ものすごいシンプルな歌詞ですね。これを一団が行進しながら繰り返し何度も演奏するわけです。

現代のサンバ・パレードでは『アブリ・アラス』というとこれだけで、パレードの先頭の山車と踊り子らを表す名詞になってるんですが、この時代のカーニバルにアブレ・アラスの役職が存在していたかどうか調べた範囲ではわかりませんでしたので、ここでは"abre"(開く)"alas"(列)を文法どおり解釈して、このように訳してみました。人の列を左右にザッと分けさせて真ん中を通っていくイメージです(今思いつきましたが、ひょっとするとこの曲のヒットがきっかけで、先頭グループをアブレ・アラスと呼ぶようになった可能性はあるかも…?)

唐突にでてくる『竪琴』はなんのこっちゃ意味不明な感じですが、ちゃんと意味があります。琴といってもいわゆるハープのことではなく(ハープはポルトガル語でharpa)、リュラーという、立ち位置としてはバイオリンやギターに近い存在の楽器のことです。で、このlira(もしくはlyra)という楽器はギリシャ神話の吟遊詩人という設定のオルペウス(いわゆるオルフェ)の基本装備楽器であったり、昔から詩人とか音楽家の象徴になるようですね。つまり詩と音楽で周囲を魅了する人、サンバに人生を捧げてるサンビスタのような人達のシンボルが『琴の人』なんですね。

歌詞の意味はようするに、"さあさあ我らが一団のお通りだそこのこけそこのけ、ウチらが一番になるぞぉッ!"ってな感じです。後々現代に至るまで100年以上もの間に作曲された数限りないカーニバル曲で歌われるテーマの、もっとも基本的な芯の部分を凝縮したまさにマルシンニャ第一号にふさわしい歌詞ですね。

- ブラジル映画祭2013 -

さてゴンザーガといえば、ルイス・ゴンザーガですが(とものすごく強引に話題を転換)、ブラジル音楽界っていろんなところで人脈がつながってるので、もしやバイアォンのゴンザガォンとシキーニャがどこかで血筋のつながりあるんちゃうやろか…?と、思いませんでしたか?じつは驚愕の事実があります。シキーニャ・ゴンザーガとルイス・ゴンザーガは兄弟なんです…

えええ!?年代がおかしいやん???すみませんフザケました。このシキーニャ・ゴンザーガさんは同名の別人です。というか『シキーニャ』はニックネームなので、厳密には同姓同名でもありませんね。

このバイアォンの王様の妹さんのシキーニャさんもまた兄の影響でアコーディオン奏者の歌手だったのですが、残念ながら2011年にお亡くなりになっています。

去年のブラジル映画祭ではウンベルト・テイシェイラの伝記映画でルイス・ゴンザーガを中心とするバイアォンのドキュメントが語られましたが、今月から来月にかけてのブラジル映画祭2013では去年の映画祭の記事でもちょっと触れました『ゴンザーガ 父から子へ(Gonzaga - De Pai para Filho)』という伝記映画がいよいよ日本で公開になります。これは『フランシスコの2人の息子』の監督がルイス・ゴンザーガの息子を軸にして彼らの音楽と人物像にスポットを当てたもので、昨年ルイス・ゴンザーガ生誕100周年を記念する映画としてブラジルで公開になった映画です。

他に今回の映画祭ではブラジル音楽関連の映画として『ウィルソン・シモナル〜スウィング! ダンス!! ブラジル!!!〜』『ハウル・セイシャス 〜終わりなきメタモルフォーゼ〜』がピックアップされています。どちらの人物についても半可通の私なんぞが語れるような話は何もないので、たまたま見つけた他所様の解説へのポインタを置いておきますね。

よそ様の勉強になるリンク
・ウィルソン・シモナルの参考
・ハウル・セイシャスの参考その1
・ハウル・セイシャスの参考その2


個人的にはゴンザーガも興味ありますが、ウィルソン・シモナルは必見かなーと思うております。例によって関東や九州はすでに日程終了しておりますが、こちら関西では今週の土曜10月26日から大阪、11月16日から京都の開催となっています。

ブラジル映画祭2013公式サイト: www.cinemabrasil.info

大阪のスケジュールはここ
京都のスケジュールはここ


大阪で見逃しても京都でフォローアップ、という手もありますが去年同様に京都のスケジュールは大阪より上映数が減りますので注意です。また映画によっては全日程で1回しか上映しなかったりするのでスケジュールをよく確認する必要があります。

とりあえず私は土曜か日曜に九条のシネヌーヴォーにいこうかな、と思うております。
posted by blogsapo at 04:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | MPB, BossaNova | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
スポンサードリンク