2011年06月12日

ジョアン・ジルベルトの伝説2011

さて、去る6月10日(ブラジル時間なので日本の日付より半日ずれます)にジョアン・ジルベルト御大はいよいよ80歳の誕生日を迎えることとなりました。それに伴ってブラジルのメディアや音楽界では、それなりに特集などしているようです。

インターネットで読めるニュースサイトなど見てまわりましたが、そもそも本人がメディアどころか世間と隔絶している生活をしていてしかも今やアパートを追い出されるという危機にもみまわれていることから、あまり派手な特集はなく、ごく普通に今までの彼のキャリアを解説したり、あるいはよく知られているその奇行・変人ぶりを紹介しつつ、しかしながら、いかにブラジルポピュラー音楽に革命を起こし、ブラジルのみならず世界の音楽にまで影響を与えているかその功績を称える、といった内容が多かったです。

そんな中で面白い記事があったのでいくつかご紹介します。

Folhaの記事(ポルトガル語):
http://www1.folha.uol.com.br/ilustrada/928258-o-dia-em-que-deram-a-joao-gilberto-um-microfone-errado.shtml
「ジョアンジルベルトに間違ったマイクロフォンが渡された日」

一部翻訳します
2003年7月23日,およそ1万7千人の人々がロスアンジェルスにあるハリウッドボールに詰めかけていた・・
(中略)
予定ではジョアンは1時間30分のライブを行うことになっていたが、しかしおよそ45分の「語りかけモード」で演奏を終えてしまった。
実のところ彼はその時間のほとんどを、間違ったマイクロフォンを彼に渡してしまう、という重大なエラーをやらかしてしまった会場スタッフに文句を言うことに費やしていた。

"Where is the AKG 414?" とジョアンは文句を言った。その夜の2番目の曲"Irene"を中断し、"AKG 414 はどこだ?"と問いかけた。

'414'とはオーストリアの高級音響メーカーAKGのマイクロフォンのモデルのひとつである。モデル 414 は通常スタジオ録音でのみ使用されるが、しかしジョアンは大きな興行のステージ、しかも開放空間にそれを持ち込んだ最初の一人である。
音響的に遮蔽された環境のために設計されたマイクロフォンが、豊かな音の波を与えライブ表現を強く際立たせるのに重要であったことを、ごく一握りの人々だけが理解していたに違いない。

事実として、ジョアンはフランス製やドイツ製のマイクロフォンにガッカリさせられることにうんざりしていて、必ず AKG 414 を用意すること、それが守られなければ公演を中断すること、を公演の契約条項に明記させていた。

この夜のステージの近くで事件を目撃した人達は、二回目のさらに激しくイラついた調子の声を聞いて技術スタッフが青ざめるのを見た、と証言した。

"Where is the AKG 414?"

技術スタッフが走りながらステージから去りそれから別のマイクロフォンを手に戻ってきた。それを渡してもジョアンの苛立ちは収まらなかった。

「ふーん?ここにAKGがあるね、確かにね。だけどね、こりゃ414のおじいちゃんだよ。約束したやつの2つ前の型じゃないか」
そして脅し文句を言い始めた: 「よっしゃ、ブラジル帰るぞ! 帰っちゃおう、行こうっと・・」
(中略)
苛立ちがほとんど頂点に達して、ついにはポルトガル語でぶちまけはじめた:
「皆さん、全部ちゃんと契約書にあるんだよ。だけど連中は契約書を読んでない、なのに僕はここに居続けなきゃならないんだ」
7ヶ月も前に完売した通常席75米ドルのチケットを手にした観客で埋め尽くされたアリーナを、彼は気の毒そうに眺めながら続けた。
「気分としてはね、全部ほったらかしにして行っちまいたいですよ。でもあたしゃそんな事できませんよ。だって沢山の観客がいらっしゃいますからね。」

ジョアンジルベルトは何度も舌打ちしながら首を横に振って演奏を中断した;
演奏にもどったかと思えば、また中断してマイクロフォンが間違ってセッティングされていたことを英語で観客に説明した。
それが契約上あってはならないこと、それが最悪でうんざりしていて、どれほど今帰りたいと思っているかということを。
そして結局、彼は行ってしまった。
が、観客は拍手を送った。あたかもそれが謝罪であるかのように‥

いやー怖いですねぇ‥。
ちなみにCDにもなったあの伝説的日本初公演が2003年9月(はい、私もそのCDの録音日9月12日まさにその場にいました)ですから、ちょうどこの事件の直後に日本公演があった、ということになります。
こういう事件があったという流れ的にも、ジョアンは日本の観客等を含めたライブ環境に感動したんでしょうね。決められた仕事を間違いなくキッチリこなす、という点で日本人に勝る民族はいないでしょうから‥

ちなみにAKG 414 というはこういうマイク(Google画像検索)らしいです

さて、彼の80歳の誕生日を祝ってブラジル各地ではショーやミサなど催しものがあるようですが、その一つに彼の生まれ故郷であるバイーア州ジュアゼイロ市が企画したものがあるのですが、それの記事がこれです。

Folhaの記事:
http://www1.folha.uol.com.br/ilustrada/927745-juazeiro-faz-homenagem-a-joao-gilberto-mas-cantor-nao-vai.shtml
「ジュアゼイロ市がジョアンジルベルト記念イベントを企画、しかし彼は出ない」

ミナス出身のジョアンボスコも出演するこの記念イベントにはジョアンは参加しない。ジョアンボスコはサンフランシスコ川岸に設置されるステージに上がる。ジョアンの信奉者であるギタリストの Aderbal Duarte も出演する。
(中略)
ジュアゼイロ市長 Issac Carvalho 氏は本日、ジョアンが生まれた家の解体をアナウンスすることになっている。市役所によれば、そこをジョアンジルベルト記念のスペースにするのが目的だということだ。

ジョアンジルベルトの姉妹である Maria Oliva Oliveira do Nascimento ことVivinhaさんが所有するその家は現在、バイーア州政府のある企業が借りている。
市役所ではジョアンがつかっていた家具などをその記念スペースに配置する予定だという。そのためにジョアンの家族の承諾が得られるものと期待している。
例えば、彼が生まれたベッドもまた、ジュアゼイロ市に長らく住み続けている妹(または姉)のVivinhaさん(*1)の所有物となっている。


せっかく生家がまだ健在なのに壊してしまうなんてもったいない気がするのですが、どうなんでしょうね。ジョアン先生この件が気に入らないから記念イベントに出てこないのでは‥?と邪推さえしてしまいます。ま、ただ単に興味がないから行かないだけ、というのが真相でしょうけど。

さてこれだけ様々なイベントがあって、肝心のジョアン先生ご本人はどうされているのか?何か公演をやる予定はあるのでしょうか、気になりますよね‥?
はい、あるんですよ、これが。ただしブラジルでの話です。

Globoの記事(ポルトガル語)
http://g1.globo.com/pop-arte/noticia/2011/06/aos-80-anos-joao-gilberto-anuncia-gravacao-de-dvd-em-turne-pelo-brasil.html
「80歳のジョアンジルベルト、ブラジルツアーにおいてDVDの収録をアナウンス」
ジョアンは8月29日から11月30日までの間に5から8回の公演を行う。サルバドール、サンパウロ、リオ、ポルトアレグレ、ブラジリアなどで公演の予定。

サンパウロやリオは既に場所や日付など大体決まっているようです。ま、御大のことですから何がどうなるか実際にライブが始まるまで(それどころか始まってからも)まったく誰にも予想がつきませんが‥とにかく正式なアナウンスがあったことは確かなようです。
お金と時間のある方はぜひジョアン詣出にいきましょう(私は無理そうです)。

ちなみにこの80歳の公演で引退をアナウンスするというウワサもあったようですが、どうやら杞憂のようです。

あと、家を追い出されかかってる話も気になりますが、それに関する新しい情報を見かけません。しかしそのことに触れている特集記事は見かけますので、たぶんまだモメてる最中ではないかと思われます。あるいは、もう件のアパートは出てしまっていてもう住んでいない、という情報もあるようです。

(*1)
  ポルトガル語の
irmã は妹にも姉にも使いますので、この文だけではどちらか判断できませんでした。




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posted by blogsapo at 07:11 | Comment(4) | TrackBack(0) | MPB, BossaNova | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
とても面白い記事ですね!
ジョアンに違うマイクを渡すなんて、大変なことをしでかしたスタッフがいたんですね。

私も日本での初ライブに行った1人です。
いろんないつわのあるジョアン、ライブ中に誰かがそそうをして、怒って帰ってしまったらどうしようと、ドキドキしながら聴いていました(笑)

この後のジョアンはどうしているのかしら。ブラジル・ツアーやったのかな?

また遊びに来させて頂きます!
Posted by mina at 2011年09月06日 12:26
>mina さん
コメント有難うございます!!

そうでしたね、あの日の会場全体のピリピリ緊張した空気を覚えていますよ。クラシックのコンサートでもあそこまで観客側が緊張することはないんじゃないでしょうか。私はあの時じつはやや空腹状態で、もしこの静寂の中でおなかがグーと鳴ったりしたらどうしょう‥もしそれでジョアンが怒ったりしたら‥などとちゃんと食べてなかったことを後悔しつつビクビクしていました(笑)

今年のブラジルツアーの準備はつつがなく進行しているようで、Globoの先月の記事によりますと

http://extra.globo.com/tv-e-lazer/confirmadas-as-datas-da-turne-de-80-anos-de-joao-gilberto-2419910.html

サルバドール 10/28
サンパウロ 11/05
リオ 11/15
ブラジリア 11/19
ポルトアレグリ 11/25

などといった予定になっているようですね。しかもこの記事によりますと、ブラジル国外からゲストミュージシャンを呼ぶ可能性がある、ということです。ツアーを企画している組織によりますとエリッククラプトンやジョンヘンドリックが興味を示している、とのことです。

また、ついいましがた見つけた情報なんですが

http://g1.globo.com/pop-arte/noticia/2011/09/proximos-shows-de-roberto-carlos-devem-incluir-italia-e-joao-gilberto.html

この今日の記事によりますと、ホベルト・カルロス(ブラジルでは超有名な大物歌手)と、イタリアでちょっとしたショーをやる可能性があるっぽいです(すみません、記事をまだきちんと読んでいません)

‥というようなイロイロな情報をみると、やはり引退の話はただの飛ばし記事だったんじゃないかな?という気がしますね。まあ今年のツアーの最期までいってみないとわかりませんが。

個人的に興味のあることだけを、ただやたらめったらゴッタ煮で書きなぐっているだけのブログですので、文章がへたくそだったり読みづらかったりすると思いますが、またときどき見に来て楽しんでいただければ幸いです。
Posted by blogsapo at 2011年09月08日 00:03
ポルトガル語が読めると、いろいろ情報が入ってきていいですね。うらやましいです!

私は、ブラジル音楽がとても好きなのですが、歌詞がわかったら、もっといいんだろうなあ、と思ったりします。
ヴィニシウスにしても、シコ・ブアルキにしても、詩が素晴らしいですもんね。

それにしても、クラプトン、ジョン・ヘンドリックスですか。どういう繋がりなんでしょうね。ジョアン、知り合いなのかしら。
でも彼は、一人のほうが好きなんじゃないのかな(笑)

日本にはもう来なさそうですね。

ブラジル勢、たくさん来てほしいですね!
私は、エドゥ・ロボと、トッキーニョに来てほしいんですよ〜^^

と、私も好きなことを書きなぐってみました(笑)
Posted by mina at 2011年09月12日 10:46
>minaさん
私もまだまだ学習半ばでして、ニュース記事は一見難しそうなんですが実は文法的には平易で正確、そして出てくる単語は辞書にほぼ100%載ってるのでなんとかなるんですよ。しかし歌詞や特に日常会話のポルトガル語になってくるとホント全然勉強が足りてないのを自覚しています。
それでもある程度ポルトガル語がわかるようになって、みんなが言うところの「ブラジル音楽はポルトガル語で歌うからブラジル音楽なんだ」っていうのが感覚としてはっきり理解できるようになったってのは、すごい収穫だったと思ってます。なので、もし機会があったら本気でポルトガル語の勉強はやってみることをお勧めしますよ。以前はわからなかった曲の別の面が見えてきたり、ポルトガル語わかるとブラジル音楽は3倍楽しめます。

ジョアンはもう来日はむずかしいでしょうね・・クラプトンとジョンヘンドリクスは、まあいちおうそんな話もありました、みたいな扱いでしょうね。

ブラジル勢の特にボサノバ周辺のミュージシャンは、日本でボサノバやMPBが人気があるのは皆知ってますので、常に可能性はあると思いますよ。
Posted by blogsapo at 2011年09月15日 23:25
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