2013年01月18日

「愛のコリーダ」ってどういう意味?

先日、日本を代表する映画監督の一人である大島渚さんがお亡くなりになられましたね。

けっこうエエ年のオッサンの私ですが、オッサンといってもそこまで年寄りでなくまた映画マニアでもないので、大島さんといえば映画監督というよりTVのコメンテーターのイメージのほうが強いです。

そんな私でも彼の代表作『愛のコリーダ』の名前はもちろん知っています。といっても名前を知ってるだけで観た事はないんですが‥

大島監督は世界的に有名な人なので、訃報は世界的にニュースとして取り上げられたようですが、ブラジルのニュースサイトでもけっこう大きな見出しとなっていました。

"『愛のコリーダ』の日本人映画監督、大島渚氏が死去"
"Morre o cineasta japonês Nagisa Oshima, autor de "O Império dos Sentidos"


"『愛のコリーダ』の大島監督の作品は、破壊とエロチシズムにおけるエポックだった"
"Obra de Nagisa Oshima, de 'O Império dos Sentidos', foi marcada por rupturas e erotismo"


"『愛のコリーダ』の監督、大島渚氏が80歳で死去"
"Nagisa Oshima, diretor de 'O império dos sentidos', morre aos 80 anos"


クインシー・ジョーンズのヒット曲で "Ai No Corrida" というのがありますが、これ実はこの映画の題名が元ネタだそうです。この曲はカバー曲で、オリジナル曲はチャス・ジャンケルという人の81年のソロアルバムにあるそうです。

"Ai No Corrida"──英語じゃないし、スペイン語っぽいけどスペイン語でもない、ナンだかよくわからない綴り、いったいこれは何語なのか???と思った人も多いような気がしますが何のことはない、普通に日本語だったんですね。

曲と映画に直接の契約関係はないようですが、こうやってポピュラーミュージックにインスパイアされた曲名が出てくるあたり、まさに『愛のコリーダ』が世界的な存在だったことの証ですね。

でも『愛のコリーダ』っていったいどういう意味なんでしょうね‥‥‥‥??「コリーダって‥えっと縦笛だっけ?」それは『リコーダー』です。「愛の‥回廊、って事かな?」それは"コリドー"。えーと、寒いオッサンギャグはこれくらいにして‥‥

‥実はこの映画題名のコリーダ("Corrida")はスペイン語の単語からとっているそうです。映画について解説しているサイトなどを見てまわりますと、この映画のタイトルの "Corrida" とはスペイン語の『闘牛』の意味と解説されています。

この映画はかの有名な"阿部定事件"をモチーフに男女愛の極限の姿を描く問題作ですが(すいません、未見ですので他所様のサイトの受け売りです)、そういう激しい血みどろの愛欲の戦いを"コリーダ"すなわち闘牛に例えている、つまり『愛のコリーダ』とは『愛のデスマッチ』の意味である、とこういうわけです(すいません全部受け売りです)。

ところでスペイン語と兄弟のような関係といわれているポルトガル語にも、全く同じ綴りの "corrida" という単語があります(ブラジル式発音では"コヒーダ")。ポルトガル語を勉強していてある日 "corrida" という単語に出くわし、「あーーーっ、あの愛のコリーダってここから来てるのか!!」とちょっと興奮(?)したのを思い出します。

ただし、その時に私が勝手に解釈し納得したタイトルの意味は、男女が走りながら去っていくような『愛の逃避行』あるいは『愛のマラソンランナー』的なイメージで、『愛の闘牛』はまったく想定にありませんでした。なので『闘牛』からインスパイアされたネーミングだったというのは今日初めて知りました。

スペイン語とポルトガル語では綴りだけでなく意味もよく似た単語が多いのですが、しばしば綴りが同じでも用法が違っていたりまったく正反対の意味の単語があったりするので、ポルトガル語のニュアンスがそのままスペイン語で通じるわけでは無い、とまず前置きします。その前置きをした上で少なくともブラジル・ポルトガル語で "corrida" と端的に言った場合、『闘牛』をイメージする事はほとんど無いです。

もしブラジル人が何の脈絡もなくいきなり "corrida" という単語を使った場合、それは「ランニング」または何らかの「レース」のイメージだと思います。例えば陸上競技だったりとか、車のレースみたいなものですね。

corrida は『走る』という意味の動詞 "correr" の過去分詞の形が名詞になったもの(動詞の形容詞化: obrigar → obrigado と同じパターン)で、同じような形式としては例えば

comer (食べる) → comida(食べ物)
beber(飲む)→ bebida(飲み物)
vestir(着る)→ vestido(服)

なんかがあります。これらは規則的な変化ですが、もちろん不規則な変化もあってそれらは個別に覚える必要があります。といっても変態的な不規則変化は少なくて、なんとなくルールがあるっぽいので慣れるとそこまで面倒ではないです。例えば

morrer(死ぬ)→ morto(死人)
ver(見る)→ vista(視覚、外観)
imprimir(印刷する)→ impresso(印刷物)

みたいな感じ(ちなみにポルトガル語の過去分詞では、規則系と非規則のどっちも普通に使える場合があるんですがその説明は長くなるので割愛)。

要するに動詞を過去分詞形にすると「何々をするモノ」的な意味合いの名詞になるわけです(なんとなく自然にこういうもんだと納得してしまってましたが、これって文法書にこういうルールの説明ってありましたっけ??詳しい先生の方教えてpor favor!!)

というわけで、"corrida" という単語は『走る』という動詞から派生して『走ること』『レース』という汎用の名詞に変化するわけですが、これに形容を付け加える事で色んな『競技』を表現することができます。

たとえば前置詞 "de" をくっつけて "corrida de ほにゃらら" とする。このほにゃららの内容次第で『○○のレース』と出来るわけですね。

たとえばカーレースは "corrida de carros" あるいは "corrida de automóveis"などと表現します。"carro" は車輪でころがす『車』全般のことですが一般には『自動車』をあらわすことが多いです。

"carro" の代わりに飛行機を意味する "avião" を使って "corrida de aviões" あるいは "corrida aérea" というと『エアレース』のこと。

"corrida de cavalos"(cavalo =『馬』)または "turfe" というのは『競馬』の意味です。

ちょっと変わったところでは "a corrida espacial" (espacial = 『宇宙の』)と書いて米ソの『宇宙開発競争』の意味になったりします。

では人間のレースであるマラソンは何でしょう? 人間のレースだから"corrida de humanos"‥‥? 実はマラソンはオリンピック由来のスペシャル競技なため特別扱いされていて、そのまんまな "maratona" という単語があります。

もっとも普通に人が走る競技やランニング全般は単に "a corrida", "uma corrida" でだいたい意味が通ります(なので、いきなりこの単語だけ出されて『ランニング』は想像できても『闘牛』をイメージするのは難しい)。決められたコースを参加者を募って走るのは "corrida de rua" (rua =『道』)、レギュレーションがある走る競技全般は"corrida pedestre"(pedestre =『徒歩の』)などと言うようです。

さて話を戻して、ポルトガル語で『闘牛』を何と言うかというと、これは "tourada" または "corrida de touros" と言います。

※スペイン語の場合も同様に『闘牛』のちゃんとした表現は "tauromaquia" または "corrida de toros" となるようです。

"touro"(スペイン語では toro)というのは『去勢されていない雄牛』のこと。つまり "corrida de touros" を、愚直に直訳すると『去勢されていない雄牛の走り』です。

去勢された牛(種付け用でない肉牛)は "boi" といいます。牝牛は "vaca" です。ここらへん日本と違い、あちらは肉文化で結構細かいので注意です。日本だと「ブリ」と「ハマチ」は違うけどブラジルじゃ全部"peixe"(魚)みたいなもんです。

※ちなみにスペイン語でも同じパターンで "toro/buey/vaca" と区別があるようです。

もっとも、牛をひとめ見ただけでソレが去勢されてるか解剖学的に正確に判別できるわけは無いんで、たとえば子供が描いた牛の絵を指差して "boi" とか言ってても本当に去勢牛かどうかわかりませんし本当は "vaca" をモデルにした絵だったりするかもしれません。

ただ見るからに乳搾りしてる牛を "boi" とは言わないし、闘牛場の角があって戦闘意欲満々の牛を "vaca" とはまず言わない、それくらいの感じで捉えればオッケーです(しかも boi/touro はネイティブでも意外とごっちゃになってる場合があるみたい)。

闘牛といえばスペインですが、ブラジルの旧宗主国であるポルトガルでも闘牛は盛んで現代でもポルトガルでは闘牛が行われています。ただスペインと様式がいくぶん異なり、たとえばポルトガルの闘牛は最後に牛は殺さないそうです。

ブラジルにも19世紀初頭にポルトガル王がナポレオンの侵略から逃れて渡ってきた際に闘牛が伝わり南部を中心に人気があったようですが、1934年に当時のヴァルガス大統領が闘鶏とともに禁止しました。ブラジルの闘牛がどんなものだったか知りませんが、昔ブラジルで行われてた闘牛もスペイン式ではなく殺さないポルトガル方式だったかもしれませんね。
posted by blogsapo at 00:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | ポルトガル語雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

アーザ・ブランカ - もうひとつのブラジル国歌

映画『バイアォンに愛を込めて』では、映画の主役であるウンベルト・テイシェイラとルイス・ゴンザーガの共作である "ASA BRANCA"(アーザ・ブランカ)が繰り返し何度も何度も使われていましたね。

この曲はバイアォンの代表曲のひとつであると同時に、ブラジル人のほとんど誰もが知ってる国民曲のひとつでもあります。ボサノバの超有名曲の『フェリシダージ』は知らないというブラジル人でも、この曲はたいてい知っています。そのぐらい有名な曲です。

このことから 「第二のブラジル国歌」などと呼ばれることもあります。他にもブラジル人の誰もが知ってる曲としては、ピシンギーニャの『カリニョーゾ』とかシュシャの『アベセダリオ・ダ・シュシャ』とか、ミッシェル・テローの『アイ・シ・エウ・チ・ペゴ』とか‥まあ探せば意外にたくさんあって"第二のブラジル国歌"の冠もついてたりするのですが、総合的な知名度、ブラジル人とくに北東部の人々が『アーザ・ブランカ』へよせる敬愛の念に鑑みてこの曲が第二国歌ランキングのかなり上位にいるのは間違いありません。

なぜこの曲がこんなにもブラジル人に愛されているのか、このエントリではその秘密について、ポルトガル語雑学を書き散らしながら探ってみようと思います。


映画『バイアォンに愛をこめて』でも語られていますが、最初にこの曲が新曲として出てきた当時は"バイアォン"というジャンル自体がブラジルのマスメディアにとって斬新な存在で、その音楽的な斬新さが引き金となって流行したという側面があります。後のボサノバなんかと同じように「ナニコレ??ナウでヤングでイケてるじゃん!」ということで流行ったわけです。

どういう音楽でも大流行のあとにはどうしても下火がありますが、バイアォンは後発の音楽に席をゆずりつつもブラジル音楽におけるコアジャンルとしての地位を確立し、現代に至るまで影響力を保ち続けることになります。

たとえば、一見バイアォンからは遠い存在にみえるボサノバですが、ボサノバの楽曲にもしばしばバイアォンの影響を見て取ることができます。

たとえばA.C.ジョビンのガブリエラ(Gabriela, アルバム『パッサリン』他に収録、オリジナルはジョビンが映画用に作曲したサウンドトラック)という曲があります。

全体としてはしっとりとした語りかけパターンの曲ですが、ラスト付近のリフレインであまりボサノバ的ではない早いリズムやメロディラインがでてきます。これがまさにバイアォン、あるいはフォホーといった北東部音楽的なモチーフ/リズムなんですね。



この『ガブリエラ』はバイーアの田舎の女性が主人公なので、ちょっと北東部的な何かを取り入れてみました、ということなのかもしれません。ただ、歌詞は "Todo mundo sambar"(みんなサンバを踊る)で結局サンバなところが、やはり根っからのカリオカ(リオ出身)のジョビンというところでしょうか。

日本でもファンが多く私も大好きなMPBミュージシャンの一人であるイヴァン・リンス、彼はいかにもカリオカ系ミュージシャンなのに、バイアォン的な北東部のリズムやサウンドを好んで使うように見受けられます。もちろん彼の音楽の基本スタイルは"ボサノバ後継としてのMPB+欧米モダンミュージック"のフュージョンスタイルですが、彼の楽曲ではしばしばアコーディオン風なシンセサウンドを使いフォホーっぽいリズム・メロディによるアレンジをつけることがあります。

そのほかにも、MPB系のミュージシャンでボサノバやサンバ系とされている人でも楽曲においては多かれ少なかれ必ずバイアォン、フォホー的な雰囲気の曲やアレンジを耳にするのが普通です。

- ポルトガル語の拡大辞と縮小辞 -

ところで"バイアォン"という名称ですが、ポルトガル語を少しかじっていると "BAIÃO" という綴りから「‥ん?もしかして北東部の地名の BAHIA と関係あるんでは?」と思ったかもしれません。‥というか、私は思いました。

つまり綴りの最後が "-ÃO" となっているので拡大辞なのでは?という連想が浮かぶわけです。拡大辞(aumentativos)というのは、名詞や形容詞の末尾にくっついて「図体がでっかい」とか単語の強調として「ものすごく○○」の意味になるものです。例をあげましょう

・sapo(カエル)sapão(こんな感じのやつ
・dinheiro(お金) dinheirão(大金)
・casa(家) casarão(豪邸)
・homem(人間、男) homenzarrão(大男) または homenzarão, homenzão
・burro(アホな人、動物のロバ)burrão(ドアホな人、でっかいロバ)
・amigo(友達) amigão(親友) ※ 「図体がでかい友達」の意味にはならないので注意

基本、名詞あるいは形容詞の末尾を -ão や -zão に変えますがたまに微妙に綴りが変わるときがあります。また注意しないといけないのが、元が女性名詞でも拡大辞 -ão, -zão をつけた場合は男性名詞になります(a cabeça → o cabeção, a casa → o casarão など)

たとえば、

 Uma mulher estava cantando. (とある女性が歌っていた)

の mulher に拡大辞をつけて

 Um mulherão estava cantando. (とある大女が歌っていた)

となるとこれは男性名詞です。

ナヌッ!図体のでかい女は男扱いすんのかッ!と怒られそうな感もなきにしもあらずですが、もちろんその人の生物学的なセクシャリティは女性のままです。あくまで文法上の都合の話です。

文法上、名詞にかかる形容詞の性別は一致しないといけないので、文の組み立てにおいて不都合がおきないように拡大辞には別に女性形の単語もあることが多いです。例えば mulher の場合は mulheraça, mulherona という女性名詞があります。女性形の拡大辞は -ona, -ça がつくことが多いです。

縮小辞(diminutivos)の場合は、性別ごとに -inho -inha を使い分けるのが基本で、むしろ性別を交換して変えてはいけないのが明確なので、拡大辞のほうが微妙に面倒かもしれませんね。

また縮小辞・拡大辞ではしばしばオリジナル単語の意味を離れてしまって全然意味が違う単語になってしまうことがあるので、むやみにルールどおりくっつけて自分が思ったとおりの意味になってると思うとエラい目にあいます。ここは要注意です。

文法上のルールは過信せずに、縮小辞あるいは拡大辞つき単語を誰かが実際に想像したとおりの意味で使ってるのを確認してから自分でも使うようにしたほうが無難です。

言っている意味がよくわからない人のために、面白クイズを書いておきましょう。

Q.1 camisa (シャツ)これに縮小辞をつけると・・・?
Q.2 sapato (靴)これに拡大辞をつけると・・・?

答えは下のほうにあります。

- なぜバイーアは「バイーア」なのか? -

"BAIÃO"と"BAHIA"の話に戻しますと、元の綴りの"BAHIA"(バイーア)は "H"(アガー)がついていますがこの "H" は発音しませんので、発音上は「湾」という意味の単語 "BAÍA"(バイーア)と同じになります。で、もしこの "BAÍA" に拡大辞をつけたとすると、"BAIÃO" になるだろう、というわけです。

ところで"バイーア"はなんで "BAHIA" なんでしょうね??どんな土地でも土地の名前には必ず由来があるはずです。

例えば次回オリンピック開催地であるところのリオ・デ・ジャネイロ(RIO DE JANEIRO)は直訳すると「1月の川」の意味ですが、これはポルトガル人探検隊が1月にかの地に到着し、グァナバラ湾を川と勘違いしたのでこの名前になったんですね。

バイーアの地はポルトガル人が最初にブラジル植民の拠点とした場所で、まず "baía de Todos-os-Santos"(トードス・オス・サントス湾)を臨む沿岸に移民村が建設され、これが発展して後のブラジル植民地主都、そして現在のバイーア州都となるサルバドール市となりました。

このブラジル最大であるだけでなく世界で第二位の広さを誇るトードス・オス・サントス湾は、この湾を発見した1501年11月1日が、キリスト教における「諸聖人の日(Dia de Todos-os-Santos)」であったため、この名前がつけられました。

そして早い時期からこの周辺の土地は"バイーア"(湾)と呼称されるようになっていたらしいです。しかし先に述べたとおり"バイーア"の綴りには普通名詞の「湾」と違って "H" が入っています。なぜでしょう?

Wikipedia の日本語版ページをはじめ、日本語の情報ではわりとあちこちで「この理由はあまりよく判ってない」という説明をみかけますが、私が改めて調べてみたところ(といってもビール片手にピーナツをボリボリやりながらグーグル先生に聞いてみただけですが)こんな説明がありました。

バイーアの綴りの由来の解説その1

バイーアの綴りの由来の解説その2

この説明によりますと、昔のポルトガル語では母音接続、簡単に言うと2つの母音が続く場合は綴り上、母音の間に "H" を挿入する文法だったようです。これが時代が下るに従い "H" の代わりにアクセント記号で表記するようになったとのことです。

例:
sahida(→ saída, 出口)
pirahi(→ piraí, 生皮の鞭、インデオの言葉で小魚)
jahu(→ jaú, 大なまず、吊り足場)


"baía"(湾)もこの例で、昔の綴りでは "bahia" と表記していたんですね。しかも上の説明に従うならこの土地だけでなく、一般に「湾」という普通名詞を表記する場合もすべてこの綴りだったと考えられます。

時代が下るにしたがって、普通名詞の"バイーア"つまり「港」は "H" の代わりにアクセント記号で表記するようになりましたが、"バイーア"の土地の名前は伝統的な綴りを保存して "Bahia" となった、というわけです。

もちろん現代では「バイーア州」の "Bahia" において "h" を抜くことはできません。こういう固有名詞となったからです。ジョアン・ジルベルトの歌にもありますね "Bahia com H" (H という字がある綴りのバイーア、という意味)と。

さて脱線しまくってますが、ぶたたび "BAIÃO" に話を戻します。

- で、結局 BAIÃO の名前の由来は?? -

いきなり腰砕けですが、調べたところ実は "BAIÃO" の名前の由来の明快な答えはないことが判明してしまいました。

もっとも、こういった古い民族的背景をもつ音楽では当然のことですね。例えば "samba" も同様にある程度の経緯はわかるものの、いつ誰がその単語を発明したか?となると正確なところはもはや誰にもわからない、というのが実際です。

ただある程度「こうだったんではないかなー?」という推測はできます。1972年のルイス・ゴンザーガへのインタビューによると「バイアォンは私がテイシェイラと始めたときには既に地域の音楽としては存在しており、また"バイアォン"という名称も存在していた」ということです(参考リンク)。

同じインタビューで彼は"バイアォン"という名称のルーツについて「"baiano"からきているという人は何人かいたし、また"大きな湾"が語源だ、という人もいたね」と述べています。

ここで "baiano" (バイアーノ)というのは「バイーア出身の」という意味ではなく、バイアォンの前身として流行した北東部の音楽ジャンルのことを指します。そしてこの音楽の名称 "baiano" は地域名 "Bahia" から来た単語ではなく、「踊る」という動詞の "bailar", "baiar" から発生した、とされています。

音楽的にいっても "baião" は "baiano" の申し子であり、その "baiano" は "baiar", "bailar" の単語から発生しているので、最初に想像したように固有の地域名 "Bahia" と関係あるかといえばおそらく関係ない、といってよさそうです。

- ところでアーザ・ブランカってどんな鳥? -

さて、いよいよ "ASA BRANCA" を見ていきましょう。

たとえばテレビ番組で、皮ジャンを着たゴッツいおっさんの乗るハーレーダビッドソンがUSAのだだっぴろいフリーウェイを疾走していると、なんとなく"BORN TO BE WILD"が流れてくるイメージありますよね。

またニュース番組でサッカーの試合のカットシーンつなぎが出ると、なんとなく "サンバ・デ・ジャネイロ" が流れてくるような気がしてきます。ちなみにこの "サンバ・デ・ジャネイロ"、この有名なトラックをつくったのはベリーニというドイツ在住のドイツ人グループです。この曲はサンプリングによる構成なのでオリジナル曲があり、それは Airto Moreira の "Tombo in 7/4" という曲です。興味ある人は一度調べてみると面白いですよ。

同様にブラジルのTV番組で、荒れた原野と牛、カウボーイがでてくると自然にかかってきそうな曲、それがこの "ASA BRANCA" です。

"ASA BRANCA" を直訳すると『白い翼』。荒れ果てた田舎の土地では生活することができず、女性に別れを告げて都会へ出て行く、そんな望郷の念を歌った曲です。

なんかこう、白くて立派なタカのような鳥が、荒れ果て乾燥した原野の雲ひとつない青空の高みをスススーっと滑空していくイメージがわいてきますか‥?

実はこの曲のタイトル 『アーザ・ブランカ』 は、シコ・ブアルキとジョビンの『サビアー』という曲と同様、実在の鳥の名前からとっています。どんな鳥なんでしょうか?ちょっとポルトガル語版のWikipediaから画像を引用してみましょうか‥

"Asa-branca"のポルトガル語版項目リンク

pomba-asa-branca.jpg

はい、こいつです。

えええええーーー?????どこが『白い翼』やねん!!!!
 ‥‥‥と騙されたような気になった人はけっこう多いはずです(笑)

たしかに羽の先っちょのほうが白いですが‥まァぶっちゃけパッと見、さえないルックスの鳥ですよね。この単語は『白い翼』というよりは本当は「ホオジロスズメ」みたいな名前と同じたぐいの『シロツバサ鳥』という意味合いなわけです。

一般に asa-branca あるいは pomba-asa-branca と呼ばれていて、ハトの一種だそうです。主に荒野に住んでいるイメージがあるようですが、実際には日本のカワラバトと同様、街でも森でも山でもどこでもいる鳥で、要するにとりたてて珍しい鳥ではなく身近な「ハト」なんですね。

- アーザ・ブランカ歌詞分析 -

それではいよいよ "ASA BRANCA" の歌詞についてみていきましょう。

曲名でググル検索するとトップにでてくる、ブラジル人がよく使う歌詞データベースサイトに、ブラジル人が書き出したと思われる"ASA BRANCA"の歌詞があります。

この曲ではまず、ポルトガル語の発音が特徴的なのに気がつきますよね?この歌詞サイトでは、あえて"正しい綴り"ではなくブラジル人が耳で聞き取った、音を写した綴りが書かれています。

まず最初の2行

Quando "oiei" a terra ardendo
Qual a fogueira de São João


字面だけみると "oiei" ってコリャなんじゃ??辞書にもないぞっ!! と混乱しますが、これは "olhei"(見た)という単語を、歌の舞台になっている北東部の田舎訛りの発音にするとこうなるわけです。

実際オリジナルの Luiz Gonzaga のバージョンではこの通りに発音しているのがわかります。 "terra" も普通は"テーハ"ですけども、ちょっと巻き舌がはいった土地風の発音になっています。

導入部の、この独特の発音だけで、もう歌の雰囲気・世界観がガチっと固まるところがじつによく出来ています。まさに「ツカミはオッケー(死語?)」って感じです。

導入部の歌詞の意味は「まるでサン・ジョアンの焚き火みたいに焼けつく土地を見たときに」ってことです。サン・ジョアンは英語でいうセント・ジョーンつまり聖ヨハネですが、この歌詞ではブラジルでクリスマス、イースターとともに三大イベントのひとつとされる"フェスタ・ジュニーナ"の典型的なイメージであるところの大きな焚き火のことを言っています。

そしてこの"フェスタ・ジュニーナ"というのがまた"田舎のイメージ"のお祭りなんですね(お祭り自体は特に田舎だけのモノというわけでなく都市でも、日本のブラジルコミュニティでもやります)

さて「焼きつくされるわが郷土をみた時に」どうしたのか、それが次に出てきます

Eu perguntei a Deus do céu, ai
Por que tamanha judiação


続きはこうです。「おいらはお空の神様に訊いたんだ、アー、なんでまたこげな酷い仕打ちなんだべさ、と」

"Deus" はもちろんキリスト教の神様のことです。ポルトガル語ではキリスト教の神様は冠詞をつけず、大文字から書かなければなりません。

"ai" は悲嘆などをあらわす感嘆符みたいなものですが、特に意味もなく「やーれやれ」みたいな言い回しとしても使います。またブラジル人が痛いときには"Ai!"(イテッ!)といいます。

ここまでの数行の歌詞と独特の発音でもって、歌の主人公が北東部乾燥地域(セルタォン)の田舎の出身であり地元で真面目に善良に生きてきた普通のカトリック教徒であって、灼熱の故郷に雨が降るように神様にお願いしているのにまるで報われない、その苦しみを歌っているという情景が一気に描き出されるわけです。見事ですね。

この後、乾燥と灼熱で作物は何もかも枯れ果てて、持っていた家畜は全て死んでしまったという話が続きます。"fornaia"(=fornalha), "farta"(=falta), "prantação"(=plantação)と土地の訛りを駆使しつつ、"Por farta dágua morreu meu gado" ではなく "perdi meu gado"(私は家畜を失った)と一人称で表現することで、「主人公は家畜を飼って生活していたのにそれらを全部失った」という状況を簡潔に表現しています。

続くフレーズが、歌のクライマックスです。ここでポルトガル語的にちょっと面白い単語が出てきます。

Inté mesmo a asa branca
Bateu asas do sertão


「とうとうアーザ・ブランカ(ハト)も、このセルタォン(北東部の荒野)から去ってしもうた」

"Intonce" eu disse, adeus Rosinha
Guarda contigo meu coração


「んだもんで、おいらは言ったんだ、"さようならロジーニャ"と」
「おいらの心はおまえさんとずっといっしょにいるからね、と」

"Inté" というのは普通にいう "Até" のことです。日本の辞書を見ると「Até の古語」となっていますが、実際には今でもこのアーザブランカの舞台となっているようなペルナンブッコあたりでは使うそうです。

"Intonce" も同様に "Então" の田舎風の言い回しです。"Intonce"は"Intoces"あるいは"Intônce"とも表記・発音されます。

"Bateu asas" これは決まった言い回しで、鳥がどっかへ飛んで行っちゃう(foi-se)、ていう意味です。

"bater" は「叩く」という動詞で、たとえば手をパチパチパチと叩く(拍手する)のを "bate palmas" といいます。

"asas" は両翼(asa の複数形)ですから愚直な直訳では「両翼を叩きあわせる」ですが、"bater asas"はつまり「羽ばたく」という意味の表現なんですね。例えば

"As gaivotas podem voar sem bater as asas."

この文の意味は「カモメ達は羽ばたかなくても飛ぶことが可能だ」そしてこの場合は「羽ばたく」の意味ですが、

"A gaivota bateu asas."

となると「そのカモメは飛んでどっかへ行ってしまった」という意味になります。基本、過去形になると「飛び去った」という意味合いが強くなる感じです。

さて、この節のイントロでいよいよ歌のタイトルである『アーザ・ブランカ』がでてきます。日照りと乾燥で作物も枯れ家畜も死に、そしてアーザ・ブランカつまりハトまでが乾燥に耐えられずどこかへいってしまった。

先に画像で見たように、アーザ・ブランカはカッコよくてシュッとした猛禽でもなく白鳥のように美しい鳥でも孔雀のようにきらびやかな鳥でもなく、そこらの野原に住むごく普通の地味なハトです。つまりこの鳥は、このセルタォンで生まれ育ち暮らしてきた主人公の象徴なんですね。だからこそ、この歌のタイトルは "ASA BRANCA" なんです。

そして去ったハトに自分を重ねるように、主人公も決意をします。愛する Roshina さんに別れをつげてどこかへ稼ぎにいかなければならない。別れは告げるけど、心は決して Rosinha さんからも、そしてこの故郷の地からも離れはしない。

ところでその Rosinha さんて誰??? まあ歌詞なんで、はっきり誰ということはなく普通に考えるとたぶん主人公の妻であろう、ということになるわけですけど、ルイス・ゴンザーガは他にも、そのものズバリの "Rosinha" という歌や、"O Casamento da Rosa"(ローザの結婚)という曲を歌っていて、彼にとってタダナラヌ存在である誰かの名前であることは明らかです。

じつは彼の歌によくでてくるこの "Rosinha" は、ルイス・ゴンザーガの娘さんの Rosa Maria だと言われています。Rosa + 縮小辞で Rosinha つまりローザちゃん、ということです。

続くフレーズでは動詞の時制がギュッと現在に引き寄せられ、故郷を遠く離れたいま現在の状況を歌っていることがわかります。

Hoje longe, muitas légua
Numa triste solidão


「今は遠く何レグアも離れたさびしい孤独の中で」

Espero a chuva cair de novo
Pra mim vortar pro meu sertão


「おいらを故郷へもどしてくれるその雨が再びセルタォンに降るのを待ってるんだ」

"Hoje" は「今日(today)」という単語ですが、「今は」という表現としてもよく使われます。"Hoje em dia" というフレーズは「今日では」「現代では」という意味の定型フレーズです。

"légua"(レグア) は昔のポルトガル・スペイン勢力圏で使われていた距離の単位で、語源はイギリスの「リーグ」と同じだそうです。国や時期によって値が微妙に異なるらしいですが、ブラジルでは6600メートル=1レグアとされています。

ここまで「乾燥でどうにもならず愛する人に別れをつげた」という過去を歌ってきたわけですが、この一行によって実ははじめから自分が歌っている今この場所は故郷を遠く離れたどこかの地(おそらく都市)であったことが一瞬でわかるわけです。

"Pra mim vortar(voltar)" もちょっと田舎っぽい言い回しで、厳密にいうと文法的に間違いで本当は "Para eu voltar" なんですが、けっこう使う人は多いそうです。この形のときに "Pra mim" を使うのはわりと内地の人が多いそうなので、昔は普通に正しい表現だったりするのかもしれません。

そしてラスト、締めくくりの節です。

Quando o verde dos teus "óio"
Se "espaiar" na prantação
Eu te asseguro não chore não, viu
Que eu vortarei, viu meu coraçao


「いいかい、農園におまえさんの目のような緑がもどってきたら」
「そしたらおまえさんに約束するよ、もう泣かなくていいんだと」
「かならず帰ると約束するからね、おまえさん」

"viu" は口語や歌詞においてものすごくよく使われる表現で、愚直な直訳では「見た/会った/判った(いずれも三人称)」ですけどももちろんそういう意味ではなく、単に語呂をよくするために付け加えたり、相手をさとしたり、語りかけたり、いろんなケースで文末に付け足します。

文末に"viu"が出てきた場合それをいちいち翻訳する必要はなく、極論すれば無視してもだいたい文意は変わりません。が、"heim", "né", "tá?", "entendeu" などこの種の、意味もなく文末にやたらついてくる表現はポルトガル語の、とくに口語の場合は頻繁に出てきてそれが調子を整えニュアンスを伝えるので、ネイティブの感覚を身につけるには覚えるというか、本能的にこのノリが身につくようにがんばって訓練していく必要がありそうです。

"o verde dos teus "óio"(olhos)"  はそのまま訳すと「あなたの目の緑」ですが、"se espaiar(espalhar) na plantação" 「農園に広がる」と続きますので、文意は「農園に緑がもどってきたら」ということです。

最後の "meu coraçao" は明確な目的語や主語ではなく、歌でよくある "meu bem" なんかと同じ一種の語りかけですが、これは3つぐらいの意味がかかっていると思われます。まず望郷の念にさいなまれる自身の心、そして故郷で待つ Rosinha さんのこと、そして懐かしい故郷の土地そのものです。

ラストの数行のフレーズで「いつかは必ず故郷にもどるんだ」という固い決意、故郷や故郷で待つロジーニャさんへの深い愛情を表明して曲は締めくくられます。


こうしてみると、各々の表現はこんなにもシンプルで具体的な固有名詞はほとんど何もでてこないのに、明らかにある特定の土地に関連した特定の人々の状況の歌であることがクリアーにわかるようになっており、しかもそんな土地に根付いたローカルな題材を扱っているのにもかかわらず結果的には誰にも通じる普遍性のあるテーマになっている、というよくできた構造なのがわかります。

『アーザ・ブランカ』は、ブラジル文化のルーツとなる歴史背景、音楽スタイル、歌詞の内容、そして独特の発音、これらが全部がシンプルにコンパクトにまとめられていて普遍的に心に──とくにブラジル人の心に──共感するものがある、それゆえに『ブラジルの第二の国歌』と呼ばれるほど長く愛され続けている、というのがなんとなく判るような気がしますね。

いい歌です。


- クイズの答えはこちら -
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2012年07月09日

先斗町のポントって本当は何語??

久しぶりにポルトガル語学習ネタです。

最近、TVで初音映莉子さんが「先斗町の"ぽんと"って何語??」とNTTドコモの Siriのパクリ しゃべってコンシェルに質問するCMを見かけたので、そういえば前にここでそんなネタを書いた事もあったなあ、と思い出しました。



いきなり京都の地名を持ち出しておきながら「…て何語?」と質問するあたり「あんたホンマは答え知っててきいとるやろ〜?」とつっこみたくなる状況設定の不自然さはさておき、これが本当にポルトガル語起源なのかちょっと気になったので、改めて調べてみました。

調べたといっても鼻くそほじりながらグーグルさんに聞いてみただけなんですけど(実質しゃべってなんちゃら使うのと大差ない・・・)、グーグル大先生によりますと「先斗町」の由来は(ご多分に漏れず)いくつか説があるそうです。

- 「先斗町」の起源について主な説 -

第一の候補は、ポルトガル語の"PONTO"(点、先端の意味)の単語からきた、というものでほとんどのサイトがこれを採用しています。件のしゃべってコンシェル君の答えもこれでした。街が河口にむかって突出する形、洲崎のような場所に形成されたのでそのように呼ばれるようになったのではないか、という説です。

ここでのポルトガル語はもちろんブラジル人ではなく、かつて日本にはじめて来たヨーロッパ人といわれる本家のポルトガル人宣教師達によって伝えられたものです。

ほかによく見受けられたのが、同じくポルトガル語の "PONTE" を起源とする説。発音をカタカナで表すなら PONTE は"ポンテ"または"ポンチ"となり、"ぽんと"に似た音になります。現代ヨーロッパのポルトガル語の場合は"ポンティ"のような発音になりますが、一般にアメリカ英語がイギリス英語の古い発音を保存しているのと同様に、ブラジル式発音は古いポルトガル語様式を温存しているといわれてますので、"ポンチ"ないし"ポンテ"だった可能性は高いような気がします。

この単語 "PONTE" の意味は「橋」で、先斗町の南北に2つの大橋があるから、というのがこの説の根拠のようです。

ほかの説としては、鴨川と高瀬川に挟まれているので、これを和楽器のツヅミになぞらえて「ポン」とたたく音からもじって「ポンと町」となった、などといった説もあるようです。


"ぽんと"という読み方にあえて「先斗」の漢字を当ててるのは、つまり由来の意味を漢字に含んでいるからで、やはり第一候補の PONTO 起源説に説得力があるように見えます。

ただポルトガル語学習者の立場から言うと「とんがった地形の場所にあるから」という説明がちょっとひっかかるところで、"PONTO" は「とんがった形」という意味とは実は微妙にズレているのです。

当blogの初期の投稿でうんざりするくらいしつこく説明していましたが、ポルトガル語では名詞に必ず性別があります(grammatical gender)。この単語の場合、"PONTO" (ポント)は男性名詞で女性名詞だと "PONTA(ポンタ)" になります。

そして『とんがった先端』をイメージするのは女性形の "PONTA" のほうなんですね。先斗町の起源を説明したサイトでしばしば見受けられる『 英語の POINT に相当するポルトガル語の PONTO 』という解説は、英語からラテン系言語の単語の意味を類推するときによく陥る罠のひとつです。

現代英語は一般的に名詞に性別がないので、うっかりしていると英語の名詞と同じ意味のポルトガル語名詞を見つけると性別無関係に両者を結び付けてしまいます。しかしポルトガル語では性別によって名詞の意味が変わることがよくあるのです。

今回のケースでは、"先端"的なのが PONTA で "点"的なのが PONTO となり、2つあわせてはじめて英単語の POINT と同じ意味になるんです。‥‥いや普通に考えて先っちょが♂で点が♀だろうって‥?はい、私も全くそのとおりだと思いますが以前にも書いたとおり、ポルトガル語の性別は単なる文法ルールであってセクシャリティとは無関係なのです。そうなってるからそう憶えるしかないもので、そこに理屈はありません。

- PONTO と PONTA の違い -

例を書いてみましょう。

ミルトン・ナシメントの名曲の一つ "Ponta De Areia"。この意味は「砂の岬」です。基本的に岬の名前は CABO DE 〜 ないし PONTA DE 〜 になります。たとえばポルトガルの西端にサグレス岬という地名がありますが、ポルトガル語表記では "Ponta de Sagres"となります。

ナイフの先っちょは "ponta de faca"。動物などのツノは"pontas"で表すことがあります。"veado de 12 pontas" (12本角の鹿)などといった具合です。牛の角みたいな形は"corno"といいますが、しかし牛の角の先っちょのことを言うなら "a ponta de corno" です。ちなみにブラジル人が"corno"という単語を使う場合、9割以上の確率で違う意味で発言してますので注意が必要です(*1)。

ほかに合成語ですが、"ponta-cabeça"なんて単語もあります。意味は「逆立ち」あるいは「さかさま」のことです。"cabeça" とは頭のことです。googleの画像検索でみると、なんとなくこの単語のイメージが掴めますね。


つぎに男性形の "PONTO"の例です。

例えば、なにかの得点は "ponto" ないし "nota" を使います。先日サンパウロのサッカーチーム、コリンチャンスがアルゼンチンのボカを破り、念願のリベルタドーレス杯優勝を果たしましたが、この試合を放映したGloboテレビ局も高視聴率を叩き出したそうです。その関連記事をみてみましょう。

"Jogo do Corinthians deixa SBT, Record e Band comendo poeira"
"コリンチャンスの試合はSBT局、Record局、Band局を悔しがらせる"


この記事の中では "Foram 19,6 pontos ‥"(19.6ポイントだった)と視聴率を"ponto"を使って表現しています。ただしサッカーの試合内容に関する話題では、得点は"gol"(ゴール)かまたは単位をつけないことが多いようです。

ここで細かいことが気になるタイプの人は数値の"19,6"がなぜカンマ区切りなのか不思議に思うか、あるいはタイプミスと思うかもしれませんが、これはタイプミスではありません。ポルトガル語では小数点は『,』(ヴィルグラと読みます)を使い、逆に大きな桁を3桁ごとに区切るときは『.』を使います。面白いですね。

この『.』ですが、この読み方がまさに "PONTO" です。英語だったら"dot"ですね。例えばインターネットのURLを読むとき、".com"は"ポント、コン"と読みます。"ponto e vírgula"(点とカンマ)と言ったらセミコロン『;』のことを意味します。

抽象的な着眼点を"PONTO"を使って表現する言い回しも多いです。たとえば"ponto de vista"(視点)、これは英語の"point of view"とかなり近い表現です。"Qual é o seu ponto de vista sobre o assunto?"(この件についての君の意見はどうだい?)など。

"em ponto"というと丁度のこと(主に時間)を意味します。"Ele chegou às oito horas em ponto."(彼は8時きっかりに到着した)など。

そして「地点」の意味として使われる事も多いのが"PONTO"という単語です。

たとえばバス停のことを "ponto de ônibus" といいます。"ônibus" はブラジル・ポルトガル語で「バス」のことです。ちなみにヨーロッパ・ポルトガル語では「バス」は"autocarro"と言い、バス停も"paragem de autocarro"と違う表現になるので注意です。

"ponto de partida"は出発点、"ponto de chegada"は到着点の意味です。"pontos estratégicos"は文字通り「戦略拠点」のこと。たとえば

"Bope ocupa pontos estratégicos no alto da Vila Cruzeiro, no Rio"
"警察特殊部隊BOPEがリオのヴィラ・クルゼイロ高台の戦略拠点を制圧"


のように使います。もちろん軍事だけでなくたとえば企業の事業展開の表現なんかでも使えます。

このように、土地がらみで使う場合には基本的に狭い特定の「地点」を表すのが"PONTO"となります。

- 大胆な仮説(ここからは眉に唾つけてください) -

さて、本題にもどってみましょう。「先斗町」が"PONTO"由来だったとして、それが『町の形が突出しているから、岬にあるから』であったとするなら恐らく、女性形の「ぽんたちょう」となっていた筈なのです。「先斗町」は当て字ですから、まず先に読みがあってそれに漢字を当てたはずです。

その読みが「ぽんと」であるからには、ポルトガル人が使った単語は地点を表す男性形の "PONTO" だったと考えるのが語学的に理に適っています。

つまり昔のポルトガル人達は、この町をなにかの要所として呼んだのではないでしょうか。たとえば "PONTO DE REUNIÃO"(集会場所)とか、"PONTO DE ENTREGA DE REFEIÇÃO"(食料引渡し場所)とかいった具合です。

あるいは何かのイベントに基づく地名だったとも考えられます。たとえば"PONTO DE CONTATO"(コンタクト・ポイント)とか"PONTO DE INÍCIO"(開始ポイント)とか。あるいはもっと象徴的な"PONTO DE AMIZADE"(友愛の場所)、"PONTO DE BRIGA"(争いの地)とかいった名前だった可能性も考えられます。

"PONTO DE ITERROGAÇÃO"と言えばこの表現で「疑問符」「クエスチョンマーク」「?」という意味になりますが、例えばなにか謎な事象があったのでポルトガル人達はこの場所を "PONTO DE ITERROGAÇÃO" と命名したという可能性も、まったく無いとはいえません。

要するに "PONTO" はこれ単体では特定の地名を表せないのですが、補完する単語とセットになるとありとあらゆる地名の表現が可能です。

恐らくポルトガル人達がかつてこの町を闊歩しながら「アキィー、ポント・デ・ほにゃらら〜〜なんちゃらかんちゃらエイン!」とか言ってるのを聴いた日本人が「バテレンさん達、ここを『ポントなんちゃら』とかいうてはりますなあ・・え?なんて?ポント・デ・・・ごめんもういっぺん?・・・なんやよう聞き取られしませんなあ、とにかく彼らがいうには、ここはポントなんちゃら言う町らしいですわ」とかいった感じで、日本人は元の名前を部分的に憶えたのでしょう。そしていつの間にか「ようこそポント町にいらっしゃいました、お客様ぶぶずけいかがどすか〜?」などと「ポント」だけが町の名前として残ったのではないでしょうか。

しかしこの一見完璧に見える説(自画自賛)も、なぜ『先』の漢字を当てたのかという説明について不完全です。これに関してはもしかすると先の名詞の性別がある言語と無い言語(つまり日本語)の食い違いが原因かもしれません。

例えば、『ポント町』という読みにどういう漢字を当てるか考える段になって当時の不完全な日葡辞書を参照したのかもしれません。誰が当て字を決めたかは知りませんがその誰かさんが不完全な辞書を参照し「うううむ、なるほどこの"PONT-O/A"っちゅーのがそうやな。なになに点、先端の意と書いてあるな。ふむふむ『点斗町』より『先斗町』のほうがなんとなくカッコエエ感じやん、よしこれにしよう」といった風に決まったのだと考えると説明がつきます。

あるいは、外来語であるポント/ポンタが日本語化するときに、ponto と ponta の両方の意味が混ざって一緒くたになってしまったのかもしれません。ponto と ponta 両方とも日本語では"ポント"に統合されてしまい、ひとつの単語で2つの意味両方を表すようになったのかもしれませんね(外来語の日本語化ではしばしば起きる現象だそうです)。

‥以上、かなーり大胆な仮説に基づいて『「先斗町」由来のウソぽんと』を書きなぐってみました。お後がよろしいようで。

*1ブラジル人が"corno"と発言するとき、その本当の意味は‥
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2011年03月04日

A presidentA Dilma

先日ブラジルの朝の人気情報番組にブラジル初の女性大統領こと Dilma Rouseff 氏が出演しまして、ブラジルのニュース系サイトで話題として取り上げられていたのですが、それを読んでいたらちょっと面白いことが書いてありました。

以前ここで、ポルトガル語では「大統領」をあらわす"presidente"の単語は男女同形なため今後は"a presidente"になる、と書いたのですが、ジルマご当人は"a presitenta"と呼称してほしいそうです。

そこでちょっとググってみますと、去年の11/2付けのとある記事がでてきました。これを読みますと、就任前の段階で既に「もし就任したら公式に"presidenta"と呼ぶようにしたい、ただポルトガル語として正しいかどうかわからないので事前に専門家に相談しよう。でももう心は決めちゃってるけどね」と考えていたそうです。先に女性大統領が就任住みのお隣のアルゼンチンでも同じようなことがあったようで、アルゼンチン現女性大統領のクリスチーナ氏は当選にあたって、自身がそう呼ぶだけでなくマスコミや彼女の政府チームにも「presidenta」と呼ぶように要請していたということです。

この記事の後半では、そもそもこの表記"presidenta"はポルトガル語として正しいのかどうか?ということについて専門家が意見を述べています。以下該当箇所を翻訳してみます。

『presidentaでは発音が汚いでしょう。心地よく響くものであれば採用してもいいと思いますがね』というのが
エチケットコンサルタント(日本のマナー講師みたいなもんでしょうか)ファビオアフーダ氏の意見だ。

この分野の専門家 Odilon Soares Leme 氏は次のように説明する。ポルトガル語正書法語彙集(Volp)では"presidente"は"dentista(歯医者)"と同様に男女同形の名詞である、と規定している。正しいポルトガル語においては、前置される冠詞によって男女どちらかが定義される: a presidente(女性大統領), o presidente(男性大統領), a dentista(女性歯医者), o dentista(男性歯医者)
『でもね、Volpには'presidenta'の単語もちゃんと登録されてるんだよ。ってことはだ、どっちも正しいってことさ』と断言する。


改めて手持ちのポルトガル語⇔日本語辞書を調べてみますと、なるほど、presidenta という単語があります。

記事の最後にはインターネット投票がありまして、それによりますと次のような結果となっています。

アンケート:ジルマ氏が大統領として選出されるにあたって、"presidente"ではなく"presidenta"という表現を使おうとしていることについて賛成ですか?

はい、女性の解放に重要だからです‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥28%
はい、政策の違いを明確にするという観点から重要です‥‥18%
こんな表現ふつー使わんし、音の響きが変‥‥‥‥‥‥‥35%
こんなん男女の偏見を助長するだけちゃうん‥‥‥‥‥‥19%

どれぐらいの集計数なのかわかりませんが、このアンケートではやや不支持が多いようです。ブラジル人は正調なポルトガル語については意外と保守的なので、あまり普及しないような気がします。ちょくちょくブラジルのニュースサイトを見ますが、"presidenta Dilma"と書いているのをあまり見たことがありません。

そもそも、Dilma氏の公式ホームページというのがありましてそのページタイトルが既に"Presidente Dilma"です。

しかしさらに調べてみますと、ブラジル政府公式の大統領室の広報サイトがありましてちゃんとこの件についての項目がありました。ここのpresidentaという単語の使用についてという解説によりますと

2011年1月1日よりブラジルは初めての女性大統領をもつことになります。しかしながらこの新しい事象はある疑問をもたらしました。他の政府職であれば、性別の問題はとりたてて話題にはなりません。

例えば、女性がministra(女性大臣)やgovernadora(女性知事)やdeputada(女性代議員)のような要職につくようになった際の名詞の性の変更は取り立てて疑問になることはありませんでした。しかしpresidente(大統領)の場合はどちらが正しいでしょうか?: a presidente なのでしょうかそれとも presidenta でしょうか?

ポルトガル語の学問的規則においては、正しく受け入れられるものとして2つの形式を尊重します。Houaissの辞書によると、日常的には使われないが"presidenta"は"大統領"の女性形である、となっています。Aurélio辞書では、presidentaは"大統領夫人"または"女性大統領"として一般的に使ってよい、とさえ書かれています。

つまり、(どちらの単語を使うかの)選択はそれぞれの主観的判断にゆだね、大統領自身、マスコミ各関係あるいは一般の市民の方々のそれぞれの好みに従って様々であっても良いということです。


‥‥だそうですので、結局あんまり市民権得られずに尻つぼみ 各々の判断ににゆだねるということのようです。
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2010年09月27日

「オブリガード」と「ありがとう」

ポルトガル語などという酔狂な言語を勉強してると言うと時々
「ポルトガル語ってアレでしょ?男と女で言う言葉が違うんでしょ?」っていう
質問をされることがあります。

私がポルトガル語を真面目に勉強しだす前に知っていた単語は
「Amor, Saudade, Você」の3つでした。たぶん音楽から入ったせいでしょう。
しかし一般にどうも日本では「オブリガード/オブリガーダ」がポルトガル語の一番よく
知られている語彙のような気がします。
この言葉の意味はもちろん感謝の意を表す「有難う」ですが、これはほぼ万能的にどういう
シチュエーションでも感謝を表す言葉として使えます。
英語でいうところの much に相当する「ムイト」をくっつけて「ムイトオブリガード」
または「ムイトオブリガーダ」と言えば、もっと感謝してる意図を伝えられます。

さて、オブリガードを説明するときに必ずオブリガーダとペアで解説する必要があるのは
冒頭にあるように男は「オブリガード」女性は「オブリガーダ」と言わないといけない、
という文法があるからです。

ポルトガル語を勉強していると、言語の歴史の痕跡というか、しばしば他のロマンス語と
ちょっとズレた部分がでてきて興味深いのですが、感謝の言葉においてもポルトガル語は
ややヒネくれてます。たとえばポルトガル語と非常に似ている(あるいは兄弟)と言われる
スペイン語では gracias といいますが、これは gracia(感謝とか恩恵とか、英語でいう
ところの grace)の複数形です。わかりやすいですね。「感謝(複数)!」そのまんまです。

他のロマンス語はどうかというと

イタリア語 grazie!
イタリア語の辞書はもってませんが、音的に gracias 系っぽいのはわかります。たぶん
恩恵とかそういう意味の名詞なんでしょう。

フランス語 merci....
音的にずいぶん離れていますが、グーグルさんを駆使してみますとどうもこれも感謝、
恩恵系の意味の名詞のようです。

さてポルトガル語。実はポルトガル語にもまさに gracia と同じ意味の単語があるのです。
graça がそれです。意味は、そのまんま感謝、恩恵、ということです。ポルトガル語で
定型句として使われるフレーズに「Graças a Deus」というのがあります。直訳すると
「神様に感謝」です。いかにもキリスト教文化らしい感じですが、あまり深い意味なく
日常的に使われます。意味は日本語の「おかげさまで」がニュアンス的に近いと思います。

日本は仏教の影響が強い文化なので知らないうちに仏教由来の表現をよく使います。
たとえば、世間。これはもともと仏教用語でした。旦那。この単語は仏教伝来にともなって
日本に輸入されたサンスクリット語だったそうです。若い人はほとんど使わないですが、
オシャカになる、あるいはお陀仏になる、などという表現ももちろん仏教由来です。
しかし日本人はこれらをいちいちブッダのことを思い描いて言うわけではなくただ
言い回しの一つとして覚えてしまってるわけです。それと同じです。

さて、それでは例えば普通に落としたエンピツをひろってもらったときに
「graças a você」(直訳:あなたに感謝)と言うかというと、これはあまり言いませんね。
たぶん丁寧な言い回しではOKだと思いますが、日常会話でこんな言い回しをする
ブラジル人はあまりいないと思います。日常会話では基本的に「obrigado/obrigada」です。

じゃあその obrigado っていったいどういう意味なんでしょうか。
実はこれ動詞の形容詞化したものなんです。
ポルトガル語の動詞の末尾の ar のかわりに ado/ada をつけると形容詞になるんです。
厳密には受動態が形容詞として使えるってことです。英語とかと同じですね。
従って、obrigado は元は obrigar という動詞です。この動詞は、誰かに恩を着せる、
ありがたく思わせる、という意味です。「恩義が作用する方向」にご注意ください。
動詞の主語の人物が恩義を感じるのではなく、主語が恩を着せるんです。
ずいぶんあつかましい感じの動詞ですよね。
しかし、obrigar が動詞として使われる場合は恩を着せるとかよりももっとおおざっぱに
「義務を負わせる」意味で使われます。obrigar の動詞のイメージは何かを人に強制する
感触です。たとえばこんな感じ。

A minha mãe sempre me obrigou a comer verduras.
訳:俺のオカンいっつも(いやがる)俺に野菜を食わせてたんだよ

単語帳
A minha mãe‥俺のオカン
sempre‥いつも
me obrigou‥俺に強制していた
a comer‥食べること
verduras‥野菜

「恩に着せる」の意味合いもこの強制するイメージの延長にあると考えられます。

で、この動詞を受動態化して形容詞にした表現では Eu estou obrigado (por você)
直訳すると「私は(あなたに)恩義を着せられた状態だ」ということです。
日本語の字面で見ると印象悪いですが、むしろ動詞の主従の立場をひっくり返すことで
丁寧さがでてるんですね。つまり「君は私に恩を着せようという気はないかもしれない
しかし実際に私は恩を着せられたと思うほどに感謝してる」ってことです。
要するに「恩に着る」ってことです。
これがいつの間にか主語+estar動詞(eu estou)が省略されて普通に感謝を表す意味の
言葉として定着したのだと思われます。

ポルトガル語は形容詞は必ず、その形容する対象の性に一致する文法があります。
たとえば o governo brasileiro (ブラジル政府) は o governo が男性ですから
形容詞「ブラジルの」は brasileiro です。música brasileira (ブラジル音楽)だったら
música が女性名詞なので、brasileira です。
受動態になった動詞の場合は形容している対象は主語ですから、主語の性別によって
obrigado になったり obrigada になったりするわけです。
これが、何故ポルトガル語で「有難う」を言うときに女性と男性で言い回しを変えないと
いけないかの理由というわけです。

ここまでくればお分かりかと思いますが、まるで日本語の女性言葉と男性言葉のように
「ポルトガル語は女性と男性で言い方が変わる」わけではなく、受動態では主語の性別に
あわせないといけない文法があって、たまたま有名でよく使う単語であるオブリガードが
その受動態だった、というわけです。しかも、他のロマンス言語も性の一致の文法はある
のに、感謝の言い回しの文法的用法が違っていたためポルトガル語でだけこのような
誤解が生じ易かったわけです。

さて、ポルトガル語が古くから日本に入ってきていたヨーロッパ言語であることは有名
ですが、それが故にもともとポルトガル語だった語彙に漢字が当てられ完全に日本語の
語彙に取り込まれてしまったものも少なくありません。
京都には「先斗町」(ぽんとちょう、と読む)という場所がありますが、これ実は
ポルトガル語の ponto (先端とか点の意味)が語源だそうです。こういうのを探していくと
意外な発見があって面白いのですが、逆にあまりにもそれっぽいので本当はポルトガル語と
無関係なのに、語源はポルトガル語だ!!とされてしまっているものもあるそうです。

有名なのが日本語の「ありがとう」は「オブリガード」が語源、というもの。
たしかに、ありがとう、おぶりがーど、似てますよね。以前、TV番組で安土桃山時代の
日本人のしゃべり方を再現したものを聞いたことがありますが、モゴモゴとこもったような
しゃべり方で、もしそんな発音だったとするとなおさら似ているように聞こえてきます。
しかしこの説、明らかな間違いだそうです。

参考リンク: 【ありがとうの語源・由来】

よく考えるとポルトガル語の文法的にもこの説に疑問符がつくのがわかりますよね?
もしポルトガル語由来なら女性と男性で言い方が変わらないといけない筈です。
男「ありがとう」女「ありがたあ」みたいな風かな?
もっとも日本に来てたのは宣教師で野郎ばっかりですから「オブリガーダ」を日本人が
聞いたことが無かったのかもしれませんけどね。
posted by blogsapo at 02:27 | Comment(1) | TrackBack(1) | ポルトガル語雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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